(注)
1.この節の議論は、余儀なく圧縮されており、元になった議論はより詳しくはCohen 1998aを参照。
2.クルーグマンの表現では、経済政策のコンフィデンス・ゲーム(訳注:客を信用させて、価値の無い土地などを高く買わせること)では、「市場の認識、偏見、気まぐれ、に取り入らなければならない。あるいは、むしろ、市場の認識になるだろうと思うものを提供しなければならない… (それゆえ、政策は)素人心理学の練習問題になる。」(Krugman 1999: 113; 下線による強調は原文ではイタリック。)
3.例えば、Hanke and Schuler 1994を参照。一層の議論と参考文献については、Cohen 1998a: 52-55を参照。
4.The Economist, March 7, 1998: 43に引用された。
5.厳しい事後的評価としてはCulp et al. 1999がある。 カルプらは、ドル買いが殺到する時期のリスクを「悪夢シナリオ」として排除する。そしてインドネシアのカレンシー・ボードに対する反対は、アメリカ財務省とIMFによって指導されたが、それは「機能しないというのではなく、むしろ余りに上手く機能したらどうなるか、という心配、すなわち、インドネシアは助かり、スハルト体制の終結が長引くことを彼らが懸念したからであった」(1999: 61, 64)と示唆する。 これは、ワシントンがインドネシアのスハルト支配を伝統的に支持してきたことからすれば、少し極端であろう。
6.注目すべき例外は香港通貨庁のジョセフ・ヤン長官である。彼は1999年初めに、投機的な攻撃に対するこの地域の脆弱性を減らすように、「我々自身のアジア通貨」を求めた高揚した訴えを行った。(Financial Times, January 6, 1999) しかし、彼も後には、現状においてその発想には「政治的な起動装置がない(political non-starter)」と認めた。(Financial Times, December 7, 1999)
7.例えば、Eichengreen and Bayoumi 1999を参照。
8.おそらく最も野心的な試みはEMEAP(東アジア・オセアニア中央銀行役員会議)であった。それは自ら「中央銀行間の地域協力機関である」と述べ、オーストラリア、中国、香港、インドネシア、日本、マレーシア、ニュー・ジーランド、フィリピン、シンガポール、韓国、タイ、を含んでいた。他にも、SEACEN(東南アジア諸国中央銀行グループ)やSEANZA(東南アジア・オーストラリア・ニュージーランド協力会議)があり、どちらも中央銀行職員の提起会合とさまざまな訓練プログラムを実施している。
9.The New York Times, April 27, 1996: 20.参照。
10.詳しくは、 Altbach 1997; Rowley 1997.参照。
11.私的には、もちろん、ワシントン(の政治家や官僚たち)もこの地域における影響力の低下を恐れていた。AMFが実現すれば、それは明らかに東京が支配しただろう。しかし経済的には、AMF提案に対するワシントンの反応は、注目すべきことに、四半世紀前にあった同様の話を思い出させる。そのときOECDにおける金融支援基金協定を、アメリカ政府がほとんど同一の根拠で粉砕したのであった。(Cohen 1998c)
12.その大臣とはDiam Zainuddinである。Wade and Veneroso 1998: 20.から引用。
13.The New York Times, October 24, 1998: B15.より引用。
14.政策論争の簡潔な概観はHale 1998や Wade and Veneroso 1998.を参照。
15.論調が変化したことを私が気付いた最も早い例は、1998年3月初めにFinancial Timesが載せたMartin Wolfの論説である。いつも自由市場の確固たる支持者であったウルフがしぶしぶ結論付けた。「危機以後、こうした資本フローを何らかの方法で規制すべきか、ということはもはや問題で無くなった。どのように規制するかだけが問題なのだ。」(Wolf 1998) 10ヶ月後、スイス、ダヴォスで開かれる年一回の世界経済フォーラムで、それはいつも公的部門と民間部門の正統的意見を追跡する有益な媒体であるが、まったく抑制を欠いた資本移動がもはや好まれていないことは、ほとんどの意見から明白であった。例えばThe New York Times, January 29, 1999: C1.を参照。
16.証券の国際市場により(資産の)国際貿易がもたらす利益の可能性に関する洗練された理論的説明については、Obstfeld and Rogoff (1996)を参照。
17.Cooper 1999: 105. さらに、Eichengreen et al. 1998; Lopez-Mejia 1999.も参照。
18.Grabel 1996a, 1996bを参照。
19.Krugman 1998b. さらに、Krugman 1999: ch. 9.も参照。
20.国際通貨基金協定のArticle VI, section 1とsection 3。
21."Post-War Currency Policy," 1941年9月のイギリス大蔵省メモ。 Moggridge 1980:31.から再録。 'ole' とは "hole"のことで、金を隠しておく手ごろな場所、の意味である。
22.出典は、"Plan for an International Currency (or Clearing) Union," January 1942である。 Moggridge 1980: 129-130.から再録。
23.Pauly 1997: 94.に引用。ケインズの見解とその現代的な意味についてはCassidy 1998; Kirshner 1999.を参照。
24.IMF暫定委員会コミュニケ(April 28, 1997, para. 7.)より。その計画では、二つの条文が改正される。第1条は、IMFの正式な目的として「資本の秩序ある自由化」が追加される。第8条では、経常勘定について既に行使されているような、加盟国の資本勘定に対する同様の管轄権をIMFに与える。また各国は自ら資本自由化に取り組むことを明文化するよう要請される。
25.IMF Survey, May 12, 1997: 136.に引用。
26.例えば、Adams et al. 1998: 79, 150; Eichengreen et al. 1998: 2-3, 29; Adams et al. 1999: 92, 101.を参照。IMFの1999年版年次報告書は、the Board of Executive Directorsが1999年3月の会合で資本規制問題を取り上げた、と述べている。その際、数人の理事が、危機においては資本移動の制限が「有益な役割を果たし得る」と主張した、と言われる。
27.Cohen 2000参照。資本規制に関わる重要な技術的問題について、他の最近の議論としては、 Ries and Sweeney 1997; Kahler 1998.がある。
28.同じ点を指摘したものとして、Cohen 1965.を参照。私は大胆で教条的な若者の常として、市場規制の鉄の法則、という野心的な名前を付けて、この考察を経済法則に仕立てようとさえ望んだ。すなわち、「効果的であるためには、規制はそれを回避する手段が発見されるよりも速く増殖しなければならない。」(Cohen 1965: 174) 今日、私はそれほど定言的命題に固執しようとは思わない。
29.The Economist, May 1, 1999: 73.
30.The New York Times, August 14, 1999: B2. マレーシアの再登録は、最初、2000年2月29日に予定されていた。その後、若干の投資家の反対があったために、モルガン・スタンレーは5月31日まで実施を延期した。 The New York Times, December 4, 1999: B2 参照。
31.Krugman 1999. バランスのとれた議論として、Adams et al. 1999: 97-101.を参照。
32.例えば、Adams et al. 1998: 176-179; Cooper 1999: 116-118. そして、特にEdwards (1999b) とCline (1999) との論争を参照せよ。チリと同様の資本流入規制を多くの国でも行ったが、その成果は異なる。Reinhart and Reinhart 1998; 117-119参照。
33.Cohen 1986: 229に引用。