******************************

IPEの風媒花 2/19/2007

視力9.0にも及ぶアンダマン海の少数部族について,テレビが映す生活を観ていました.中国南部の山から戦乱を逃れ,何百年も前にタイの海岸まで南下し,ついには海上の民になったようです.貧しくとも平和に暮らす彼らにとって,陸は災いと死者の場所です.

伝統的な暮らしを忘れ,地上で住み始めた者たちは,大切な船を失い,仕事もなく,妻たちが昼間からトランプ賭博に耽るのを眺めています.しかし,海に残った者たちの暮らしも,エンジンをつけた漁船が魚を根こそぎ取ってしまい,かつてのような漁法では獲物が減ってしまいます.

伝統について,A.ギデンズは『暴走する世界』の中で書いています.それは権力によって捏造されたものだ,と.「伝統」の効用は,「真理の響き」にあり,私たちに「疑う余地のない行動規範」を与えてくれることです.そして,ある時代を支配する権力が衰退すると共に,伝統もゆるやかに死滅します.

ギデンズは,近代化やグローバリゼーションが私たちに与えてくれる選択の幅,可能性の余りにも豊富な中で,むしろ個人が満足して生きることは非常に難しくなった時代を,「リスク」や「伝統」という言葉で描き出します.グローバリゼーションは,間違いなく,伝統世界や安定した秩序に対する苛烈な破壊者です.

「人生の大半を一人の男と暮らしたなんて,私はとんでもない不幸者だわ.」・・・ギデンズが敬愛する叔母の言葉!

家族や信仰,学問,政治,ビジネスにも,多くの「伝統」があります.<男>だけでなく,国家でも,企業でも,土地でも,言語や文化,信仰,イデオロギーでも,私たちは束縛を逃れて自由になりたいと思います.しかし,その勝利や満足は一瞬でしかなく,より安定した,かつてのような秩序や満足が再生されること,新しい「伝統」への帰属を願う者も増えるのです.

子供たちと,夕方,近くのイオンに買い物へ行きました.明るく,広々とした店内に,日曜日の空いた時間を過ごす人々が集まります.外はあいにくの天気ですが,ここなら快適です.冷たい雨の降る,北風が吹く路上を,私たちは自動車に乗って走りすぎます.

見渡す限り,きれいに陳列された膨大な商品の集積には,素直に感動します.十分なお金さえあれば,私たちはこの商品の山から好きなように消費できるわけです.

しかし,これはどこで,誰が作ったのか? 私にも見当がつきません.イギリスで,やはり家族と買い物をしていたとき,果物が南アフリカやイスラエルから,また衣服が・・・ラトビアだったか,ルーマニアだったか,ともかく予想外の,聞きなれない,「そんなところに工場があるのか・・・?」と思う土地から来ていることを知って,驚きました.

宮部みゆきやスティーブン・キング,D.R.クーンツの小説なら,きっと,ある商品を手に取っただけで,それを育てたり,運んだり,加工したり,売買した人たちの表情やその感覚,仕事の情景まで脳裏に浮かぶ,不思議な能力を持った子供が現れるでしょう.

・・・食肉処理工場や養鶏場・養豚場,肉牛に与え,エビやハマチの養殖池に撒く飼料の生産工場,・・・ 血まみれのダイヤモンド,石油採掘,チョコレートのためのココア豆,コーヒー・プランテーション,タバコや綿花の畑と,それを運ぶトラックや列車,・・・ なるほど,私たちの暮らしは,マンションやコンビニだけでなく,世界中の工場や戦場から成っているわけです.

自分で作ろうとしたら1000年かかってもまだ終わらないだろうな,と私は子供たちに話しました.ギデンズの求める「コスモポリタニズム」や「民主主義」よりも,「共感」や「想像力」の方が重要だと思いました.

朝日新聞に「惜別」というページがあります.なぜこんなページがあるのか,なぜこの人々が登場したのか,私は知りません.しかし,ボードレールを個人で全訳したフランス文学者,ポーランド出身のジャーナリスト,台湾の陸上競技選手の,それぞれの秀でた生涯を振り返る短い文章を読んで,感嘆し,何度か呻き,瞑目しました.

******************************