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IPEの風 4/30/2007
どう考えても,自分の研究は経済学ではない.これはきっと,・・・文学だ.
子供にやろうかな,と思って手に取りました.そして,豊崎由美さんの『そんなに読んで,どうするの? 縦横無尽のブックガイド』(アスペクト)を買いました.これが面白い.たとえ表現のスタイルに好悪の感覚が残るとしても,これは,すばらしい本との出会い(その衝撃)をふんだんに提供してくれます.ガツンと来る,ハートで書かれた文章は,文学の書き手も,読み手も,時代や社会と向き合う強烈な魂を持つ人たちなのだ,と実感します.
想像力を駆使して文字を書く行為.その自由を大切だと感じ,文字により創造された世界で真剣勝負を生きている.彼・彼女たちはさまざまな技巧や想念で,限界をはるかに超えていく.自分の感覚を他者と交換して,さまざまな人が織りなす世界の捉えがたさを映す文学や「小説」の力に,私はいつも羨望を覚えます.
ホブズボームのすばらしい現代史,『20世紀の歴史 極端な時代』(三省堂)を読みながら,ロシア革命(それは必ず世界革命に転換するはずでした)や大恐慌が一人ひとりの生き方を(言いようも無いほど)大きく変えたことを実感します.「富裕なミュンヘンの法律家の娘オルガ・ベナリオと学校教師のオットー・ブラウン」という「二人の若いドイツ人」を例に挙げて説明します(訳,110頁).
一時は愛し合っていた二人が,オルガは「西半球で革命を指導する仕事」に向かい,ブラジル共産党の指導者ルイス・カルロスと恋に落ちて結婚します.カルロスはモスクワを説得して1935年の武装蜂起を支援させますが,密林での長い闘争に敗北し,オルガはブラジル政府からヒトラーのドイツに引き渡され,強制収容所で死にます.他方,オットーは中国におけるコミンテルンの軍事顧問として東方の革命に成功しています.しかし「大長征」に参加して,「毛沢東に疑いを持つようになった」ということです.
文学や歴史に「正解」はありません.多分,哲学や政治,社会学に「正解」がない,という以上に,「正解」というものを持たないと思います.正解がないということが,文学や歴史を楽しみ,創り出し,語り合うことを可能にする条件なのです.誰もが,たとえその解釈や政治的理想が異なっているとしても,ホブズボームの得た知識,理解した水準で,自分たちの歴史を理解できたら,この社会の多くの問題にもっと異なる展開,異なる解決をもたらすでしょう.
「そんなに読んで,どうするの?」と訊ねられて,「面白いから」と豊崎さんは答えます.しかし,それは出発点だった,と考えます.毎週,「こんなもの集めて,どうするの?」と自問するとき,私がつぶやく答えも豊崎さんと同じです.
彼女はあとがきにおいて,小説の「美点」をストレートに書きます.“わたし”なんて「すごくちっぽけな存在」で,「自分サイズの檻にはまって」,今という,この時代,この社会に生きることしかできない.「遍在することが不可能」な,窮屈な自分を生きる.しかし本を読んでいるときだけは自分の檻から解き放たれるんです.」
「想像力によって,わたしがわたしのくびきから放たれ,自分ではない誰かや,此処ではない何処かに共感という輪を広げていく.」
そうか,やはりIPEは文学だ,と私は納得しました.異なる社会や異なる時代の人のあり方を想像し,そこから自分たちの選択に刺激を受けること.私たちの毎日が,まったくそうではない,もっと別の可能な多くの現実の中の一つでしかないこと.制度やイデオロギー,権力によって決められた,透明で,硬質な檻に閉ざされている自分たちのあり方を,IPEは想像力によって理解し,その貧しさから解放するのです.
私はもちろん,エリツィンではないし,サルコジでもありません.安倍首相でも,金正日でも,イラクを逃れた難民キャンプで飢餓に苦しむ子供たちを見守る父親でもないのです.しかし,こうした記事や論説を読み,想像力によって深い共感を得た瞬間に限れば,私は世界を飛翔するのです.
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