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IPEの風 6/11/2007
メキシコ,チュニジア,韓国,エチオピア! 木曜日,「貧困」の研究班と話し合いながら,問題の複雑さに手を焼きました.
ジニ係数,平均寿命,さまざまな社会指標,・・・おおむね,どの国も成長している? しかし,社会指標が改善している国は,チュニジアだ,という指摘が面白かったです.成長率よりも,社会指標の改善を基準に各国を評価すれば,何が言えるのか? メキシコは成長したけれど問題が多いし,韓国は優等生,エチオピアは失敗例,と単純に分けてしまうのでは残念です.
そもそも,なぜ国家を単位に優劣を競うのか? 政府や開発政策・モデルよりも,<貧困>それ自体を考えて欲しい,と私は要望しました.
なぜ同じ人間なのに,彼らは貧しく,私たちは豊かなのか? ヒトとしての能力や勤勉さに,それを説明するような差があるでしょうか? なぜ彼らに知識や医療,資本設備,などを援助しないのか? あるいは,なぜ貧しい土地を出て,彼らは移民や難民として豊かな国へ来ないのか? それには政治的限界があるのです.
学生たちの話に,開発論の歴史がすべて再現されているように思いました.貧困の悪循環,絶対的貧困,飢餓,人口爆発,緑の革命,・・・ 腐敗,内戦,独裁,破綻国家,・・・ 遮断・離脱,自律,協力,・・・ なぜ彼らは国内で貧困を解消するような協力を組織できないのか? なぜ世界は貧困解消のためにもっと協力しないのか?
たとえば,全体の利益を合意できても,その分配をめぐって相対的な利益に関する対立が解決できません.あるいは,長期の利益は知っているとしても,短期の不利益を受け入れないでしょう.既得権や支配的地位を守るために,全体の利益を犠牲にし,多くの人が不幸になっても仕方ない,と考える権力者は多いでしょう.
かつて,開発思想は,援助,貿易,投資,を強調しました.あるいは,技術,知識,教育,留学,など通じて,自律した発展を模索してきたと思います.大国のナショナリズムや理想主義,小国の地域協力や統合論は,多くの正しい考察を含んでいます.開発理論や開発モデルの循環と,現実の解決策,失敗例,各国の歴史や政治過程をよく見てほしい,と求めました.
IPEとして貧困を考える,とはどういうことか? と聞かれました.・・・そう,それだ! どのように答えるべきだったか? 貧困は「所得水準」や「政策」ではなく,その社会のあり方,それを許し,再生し続ける政治経済秩序そのものに由来している,と考えてはどうでしょうか? これほど大きな貧富の差を前提に,私たちは暮らしています.だから,いつもこう問うべきでしょう.
「あなたの言いたいことはわかる.しかし,<貧困>はどうなのだ? おびただしい貧困があるのに,あなたはそれに答えなくて良いのか? 極端な貧困を前提とする既存の<秩序>は,その公正さや正義について,強い疑念を抱くべきではないか?」
学生たちが考えたように,正しい・有能な政府が必要です.それさえあれば,貧しい人々が自分たちで豊かになる道を切り開く可能性はあります.政治・政府という呪文を,私たちは真剣に考えます.
明快な答を示さない,というのは,いつもながら教師として失格だな,・・・と悲観しているとき,今週の記事に関連するものを見つけました.事例を集めて,もっと話し合ってみたいです.
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