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IPEの風 7/23/2007

「おまえの健康に乾杯だ,この罰当たりめ.きょうの朝,すぐにくたばってしまえ.」

1945420日,午前650分.イギリス,バッキンガムシャーの首相公邸で,チャーチルは朝食を摂ります.その日がヒトラーの56歳の誕生日であることに寄せて,チャーチルは乾杯したのです.

デイヴィッド・L・ロビンズ『戦火の果て』上下(新潮文庫)に描かれた人物で,イギリス首相,ウィンストン・チャーチルの政治的資質と,ナチの支配体制や連合軍の空爆,そしてソ連軍による侵攻と報復を生きたベルリン・フィルの女性チェロ奏者,ロティー,その母親,フレヤに,私は心を動かされました.

「歴史的な覚書き」にあるように,小説の骨子はウィリー・ブラント(西ドイツ元首相)の回想録から得られたようです.アメリカ軍はエルベ河を越えてベルリンに向かいませんでした.アメリカとソ連による戦後秩序を意識したルーズベルトが,ベルリン陥落の栄光をスターリンに譲ったからです.この選択を,ブラントは許せなかったのです.

ソ連国民はナチスを滅ぼすために1000万人の命を費やした,とスターリンは主張しました.ソ連軍の将軍はナチによる強制収容所を示して,自分たちがドイツ人を殺す理由である,と答えます.ヒトラーの少年兵たちは降伏することも知らずに突撃し,親衛隊は降伏を主張する村長を殺して旗竿から吊るしました.しかし,チャーチルやアメリカ兵が美化されすぎていると感じるのは,私がイラク戦争を思い浮かべるからです.

ドイツの村で,報道写真家バンディーは多くの人に囲まれます.「ここにいるには農夫の娘や妻たち,そしてその親たちだ.若い男たちはみんないなくなり,多くは帰ってこないだろう.バンディーはキケロの言葉を思い出す.平和なときには,息子が父親を葬る.戦争のときは,父親が息子を葬る. ・・・これがお偉方たちの望むやりかたなのだ・・・ 連中が地図に線を引くとき,代償を払うのはきみたちなのだ,と.」

「軍事指導者と政治家たちは,全世界をゲーム盤に変えてしまった.金と権力は生命と血よりも重んじられる.」

解放された収容所をソ連軍の中尉はバンディーに見せて,写真を撮れ,と言いました.「人々は,散らばったごみのようだ.自分の脚で歩いているようには見えない.風に吹かれて動きまわり,自分の境遇に我慢できなかった人々を心ならずも抱き上げる気流に乗って,漂っている. ・・・それはただの飢えた表情ではなく,虚無が詰めこまれてきた入り口だ.」

しかし,戦争の終わりにバンディーは苦しみます.「これこそ悪の顔だ.」ナチの看守たちは「冷酷でも狂ってもいない,ごく普通の顔だ.」 そんなバンディーを,「ナチがにやりと笑う.」 彼が伝えてきた,戦争も,歴史も,人間も,こうした悪の顔を示し始めたことに動揺します.彼の額につばを吐いたナチに襲いかかる自分の中にも,憎しみが抑えきれません.

作者はきっと,この物語の結末を何通りも,何十通りも考えたことでしょう.編集者や友人たちと夜通し議論したのではないでしょうか.

殺戮することだけに自分を駆り立て,神にもなってやると願ったイーリャは,その終わりに見るベルリンの町で悩みます.「あんたはイリヤ・ショーヒン.戦争の神だ.あんたは戦争をいっそうひどくするために全力をつくしてきた.」 生死をともにしたミーシャは,彼に代って答えを出します.「なあ,友よ,聞け.もしあんたがこの四年間でほかに何一つ学んでいなかったとしたら,このことを思い出せ.終点なんかないんだ.戦争に終わりはない.」

もしこれが小説の終わりだとしたら,だれも本など手にしないでしょう.

最後に,イーリャとミーシャは,ロティーとフレアの家に入ります.ミーシャの思い描く勝者に許される,略奪と凌辱を求めて.しかしイーリャは,彼女たちを理解します.「戦争は,ここで,今,終わる.」 ミーシャを家から放り出し,物語の中で,初めて地下室から姿を現したユダヤ人とともに,イーリャは玄関に座って銃を抱きます.

日本が関わった戦争の終わりにも,多くの物語があったでしょう.

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