V 資本規制賛成論
資本規制については論争がある。批判者はそれを、非効率的であり、機能しないという。支持者はそれを、危機に陥った経済への強壮剤として認める。何十年も、ほとんど逆らいがたい金融的なグローバリゼーションの流れを、無鉄砲にも阻止しようとする人々に検証責任が課されていた。しかし、アジアにおける危機により、ある種の国境を越える資本移動の制限に威厳が戻った。理論と実践の両面から示唆されるのは、検証責任が今や伝統的な見解の支持者の側にあり、その批判者の側にではないことである(15)。
賛否両論
資本規制に反対する伝統的な意見は単純である。それは自由市場支持論であり、財とサービスの自由貿易を支持する理論的な標準的議論からの類推である。通商上の自由化が双方に利益をもたらすのであれば、金融自由化も同じではないか? というわけだ。資本の移動性が、効果的やリスク管理や異時点間の消費により、厚生水準を上昇させる機会を増加させるだけでなく、比較優位に基づく貿易と同様、投資資源をより生産的な利用に導くとされる。その結果、われわれすべての生活がおそらく改善される(16)。連邦準備制度理事会議長、アラン・グリーンスパンの言葉は、この伝統的知見の権威ある代表である。
「世界金融の加速的な拡張は、…国境を越える財とサービスの取引を促し、国境を越える証券投資戦略を容易にし、世界的規模で実質資本形成をより安価に金融し、それゆえ、国際貿易の拡大と生活水準の上昇をもたらすのである」(Greenspan 1998: 246)。
逆に、資本規制はこうした利益をすべて脅かすだろう。なぜなら資本規制はほとんど確実に経済的な歪みを生じ、社会的に望ましいリスク負担を妨げる、と仮定されるからである。より悪いことに、
地球上に容赦無い金融技術の革新が起きていることを思えば、抑制策は、結局、その効果を証明できないだろう。再びグリーンスパンの言葉を借りれば、「われわれは技術面で時計の針を逆転させることなどできないのだ。そしてそんなことを試みるべきではない」( Greenspan 1998: 249)。未だに規制を好む政府はどれも、事実上、単に過去の世界に生きている。
政策に関わる人たちの間で長く支配的であったこうした議論とは逆に、専門研究の文献には二つの異論が見られる。一つは伝統的知識を支持するのに必要な前提条件に注目する。それは、財やサービスの取引についてと同じくらい、金融資産の取引についても厳しい条件である。厳密に言えば、論証の問題として、純粋な競争と完全な予見という理想的世界でのみ、自由な資本移動は厚生を最適化すると断言できる。しかし現実においては、どの経済にも(情報利用の非対称性のような)市場の歪みが蔓延しており、「最善の “first-best”」均衡が達成されるのを妨げている。リチャード・クーパーは次のように書いた。
「重大な歪みが存在するとき、資本の移動性は、…世界の資本配分を悪化させ、実際に、資本輸入国の経済的厚生を悪化しさえする、という主張は、長く確立されてきた。」(17)
それゆえ、資本規制の説得的な支持論が標準的な「セカンド・ベスト」に基づいて行われる。資本抑制策というもう一つの歪みの賢明な導入は、実際、経済的厚生をネットで減少させるのではなく、増加させることになるだろう。いかなる市場のゆがみにも、原則として、それに見合った最適介入の形態が存在する。
この種の論理は反論の余地がない。全能の政府が一つの明白な歪みを処理するのであれば、ある種の資本市場抑制策が疑いなく厚生を改善するだろう。しかし論争となるのは、多くの歪みが存在する、不完全な政策決定しかできない現実の世界についてである。しばしば引用されるサーベイ論文(Dooley 1996)においてマイケル・ドゥーリーが述べたように、問題は理論的なものではなく、経験的なものである。セカンド・ベスト論を支持するのに必要な前提は、より伝統的な自由放任論が基礎としている議論に劣らず「大胆」である。
第二の異論は、今日の状況にもっと関係があり、限界的な経済の歪みにではなく、金融市場のまさに本質に注目する。すなわち金融市場は、他の事情を考慮しなくても、頻繁な危機と変動に脅かされがちである。ここで問題となるのは、資産の売買に内在する期待の相互依存関係が必然的に群衆行動(herd behavior)と複数均衡(multiple equilibria)をもたらすことである。資本市場は、自己実現的な投機的「バブル」と攻撃に弱いことで有名である。またこの市場は、変化するファンダメンタルズに予測できない遅れをともなって反応するという撹乱的傾向があり、それゆえ、急激に、またしばしば気まぐれに過剰な反応をする。その結果生じる資本の流れは、巨大なものかもしれず、実物経済変数に増幅された影響を及ぼす点で、国民経済に対して高度に破壊的となる可能性がある。そゆゆえ、ここにもまた、国家による賢明な介入を支持する論理的な根拠を見出せるだろう。この場合、介入は過度の不安定性を制限し、金融市場の日常的な活動に特有の伝染効果を制限するのである。メキシコ銀行元総裁の次の言葉はこの見解を代表している。
「世界的規模の、電子的に結びついた新しい市場における、市場の不安定性に関する最近の経験によれば、膨大な投機的資本移動の潜在的コストを無視したり、過少に評価することは難しい。…自由な資本移動の利益と仮定されているものは、そのような移動性がもたらす本物のリスクと比較考量されねばならないだろう。ある種の規制や管理は、…膨大な資本移動の引き起こす圧倒的な金融危機から新興市場経済を守るために必要であると思う」(Buira 1999: 8-10)。
確かに、こうした議論の価値も経験的な観点から批判される余地はあるが、世界的な非常事態に際しては、制約されない移動性の不利益が誰にとっても非常に明白であるから、反論の余地はもっとも少ない。実際、最近の調査は、金融自由化はほとんど常に、遅かれ早かれ深刻なシステム危機と結びつくことを示している(Williamson & Mahar 1998)。資本規制をめぐる議論の流れを決定的に変化させたのは、まさに、こうしたコストの爆発的な増大である。次第に次のような問題が発せられるようになった。資本移動の自由は、なぜそれ以外の政策判断を超越する絶対的な優先権を持つのか? 各国政府はその通貨に対する需要を形成し、制御しようと模索しながら、なぜ他方で、事実上、その手を背中で縛っておくべきなのか?
おそらく論争を転換させる点で最も影響力があったのは、指導的な貿易理論家であるジャグディシュ・バグワッティの広く引用された論文であった(Bhagwati 1998)。他の経済学者もときおり資本規制支持論を展開していたが、バグワッティの名声はこの問題に新しい公的な関心を集めることに役立った。バグワッティは、アジアの苦痛に満ちた経験の後、一体誰が資本移動性の優雅な利益を説く「神話」で説得されるだろうか? と問いかけた。
「資本移動性に伴なう危機を無視できないことがはっきりした。…ひとたび危機が襲うと、資本移動性のマイナスの面が現れる。…従って、自由な資本移動を認めようとする政府はいずれもこのコストを計算しなければならないし、危機に陥る蓋然性も考慮しなければならない。危機と切り離された仮定の世界で、自由な資本移動から溢れる優れた経済効率による利益は、もしも賢明な決定がなされるべきであるなら、この損失と対比されねばならない」(Bhagwati 1998: 8-9)。
同様の調子で、そのすぐ後、クルーグマンは、正統的な説得戦略をプランAと呼び、これを「コンフィデンス・ゲーム」の失敗と非難した。そして、「プランBを真剣に検討するときが来た」と、彼は資本規制を強く主張した。「経済学者の間には、為替管理などうまくいかない、という事実上の合意が存在する。しかし、現在、アジアで起きているような破局に直面して、問題は、何と比べてうまく行かないのか? と問われるべきである」(19)。同じく、これに数ヶ月遅れて、ジョージ・ソロスが「ある種の資本規制は、…理想的な世界では良い政策の一部ではないだろうが、不安定性よりも好ましい」と書いた(Soros 1998: 192-3)。1998年の秋までに、知的な勢いは明らかに伝統的な知識を何らかの形で再評価する方向に変化していた。バグワッティは、こう結論した。
「理想的な世界とは、確かに、自由な資本移動のある世界であるという…前提にもかかわらず、証拠の重みや論証の力点は逆の方向、すなわち資本移動の抑制に向かっている。今や、検証責任は資本移動の自由化に反対する者から、それを支持する者に課されているのだ」(Bhagwati 1998: 12)。
バック・トゥ・ザ・フーチャー
伝統的な知識の見直しは、歴史的な見地からも正当化されるだろう。IMFの元来の構想が実際に自由な資本移動を求めてはいなかったということを、覚えていない人が多い。事実、それはまったく逆であった。1920年代、30年代の通貨関係を不安定化した「ホット・マネー」を強く嫌って、ブレトン・ウッズで作られたIMF協定は各政府が資本規制を維持することを明確に認めた。そして事実上、交渉に参加したすべての者が、影響力のあった国際連盟の研究、『国際通貨』に同意していた。すなわち、「神経質な大量の資本逃避」(Nurkse 1944: 188)の危険に対して、ある種の保護が必要である、ということであった。それゆえに資本規制という選択肢は、そのような抑制策が国際的な商取引の抑制を意図しないという条件でのみ、明確に各国の裁量に任された(20)。この考え方は、苦労して海外に築かれた多角貿易・決済の広範な構造を危険にさらすことなく、自国内の安定性と繁栄を促す十分な自律性を政府に許す、というものであった。それは、国内的介入主義の原則と国際的自由主義の原則との巧妙な妥協であった。この妥協のことを、ジョン・ラギーは後に「埋め込まれた自由主義」と呼んだ(Ruggie 1983)。
その妥協をもたらす中心になったのは、同時代の最も偉大な経済学者として世界的に尊敬を集めていただけでなく、ブレトン・ウッズのイギリス代表団の知的指導者でもあったジョン・メイナード・ケインズであった。ケインズにとって、投機的な資本の自由な移動以上に有害なものは無かった。彼の考えでは、「(それが)不安定性の主要な原因であった。…こうしたことの反復を防ぐ保障(がなければ)…より良い<資金の隠し場所>は魔法の絨毯で移動するだろう。解き放たれた資金は世界中を席巻して、すべての着実なビジネスを破壊するだろう。資本移動を規制しなければならないということほど確かなものはないのだ」(21)。ケインズは注意深く生来の生産的投資の流れと生産の基礎を持たない「浮動的な資金」とを区別した。前者は「世界の資源を開発する」のにきわめて重要であり、奨励されるべきである。他方、規制されるべきなのは後者だけあるが、それは「戦後システムの恒久的な特徴として」維持されることが望ましい(22)。ブレトン・ウッズの後に、ケインズは彼の目的がこの点では達成されたと満足の意を表明した。
「単に移行期の特徴としてではなく、恒久的な仕組みとして、この計画はすべての加盟国政府にあらゆる資本移動を規制する明確な権利を与えている。かつて異端であったものが、今では正統と認められている。」(23)
しかし、われわれが知っているように、その成果は続かなかった。半世紀が経つうちに、世界金融という不死鳥は灰の中から飛び立ち、ケインズの非難はほとんど忘れられて、一旦、正統と認められたものが再び異端となった。ますます、たとえあからさまに時代遅れといわれなくても、資本規制は間違いと見なされるようになった。そして市場の優先順位に逆らう権利があると思われる状態はますます減った。1980年代までに、金融自由化が、工業化された中所得国と自認するすべての諸国の目標になった。1990年代までは、この潮流は明らかに自由な資本移動を普遍的な規範として神聖化する方向に向かっていた。そしておそらく、その最高到達点は、1997年前半であった。そのとき、IMF暫定委員会は、資本勘定自由化をIMFの固有の目的と責任とするために、IMF協定の新たな改訂を準備する計画を承認した(24)。そこに含まれた皮肉をまったく意識せずに、IMFのミシェル・カムドゥシュ専務理事は、その改訂計画をブレトン・ウッズの「書かれなかった協定」を追加するために委任されたものと断言した(25)。
その後、タイ・バーツが下落した。セバスチャン・エドワーズなどの著名な経済学者が明確に抵抗したにもかかわらず、流れは今や決定的に逆転した。IMFでさえ、今ではその口調を変化させ、新改訂を積極的に支持する論調を放棄し、その代わりに、選択的な金融抑制策が効果を持ちうると語るようになった(26)。それは、基金を最初に創設したときにケインズなどが心に描いていた未来へ一時的に立ち返ったことを意味した。明らかに、事態の推移から来る圧力は、再び目覚めた歴史意識とあいまって、資本規制支持論に新たな光を与えている。資本移動の制限は、その結果、貨幣的管理の手段として新しい正当性を得たのである。