イデオロギー的な原則

第三に考えられる説明は、イデオロギー的原則に関するものである。政府が資本規制という手段を用いなかったのは、抑制策が彼らの経済的もしくは政治的な価値を深く侵害するとみなされたからであろう。

経済的には、資本規制が民間の市場プロセスを妨害するという理由だけで、それは反対される。学者たちは歪みや複数均衡などについて話すだろう。しかし経済理論の微妙な違いで学派に分かれることが少ない多くの政治家にとって、こうした議論はまったく二枚舌のでたらめである。市場は常に、そして本質的に、いかなる公的な介入よりも優っている。この数十年間に起きた世界金融の再生が、もっとずっと大きな世界的規模のイデオロギー転換の一部であったことを、私たちは思い出さねばならない。ケインズ主義的な介入主義から、「ワシントン・コンセンサス」として知られるようになったものへの転換、言い換えれば、可能な限りの民営化、規制緩和、自由化の望ましさを強調する新しい「ネオ・リベラル」経済学の新たな勝利である。その意味で、世界的義務として神聖な資本移動性に向けて進むことは、ほとんど神聖な、力強い聖戦にも近かった。聖戦の戦士は常にその信念を固く保持することを求められる。

同様に、政治的に見て、資本規制は単にそれが民主主義の基本的な規範と両立しないという理由で反対されるだろう。経済学者のデイヴィッド・ヘールが「資本規制は指令経済型介入の一つであり、その国の経済的自由だけでなく、政治的自由に関しても重要な意味を持つ」(1998: 11)と述べたとき、まさに意図したことである。ジャーナリストのサミュエル・ブリタンはこの問題をいっそう遠慮無く示した。「為替管理に反対する最も基本的な主張は、独裁者がその国で市民たちを投獄するために使うもっとも有効な手段の一つがそれである、ということだ」(1998)。資本の移動性もそれ自体の独裁制をもたらすことが、コンフィデンス・ゲームを演じる国にとって確実に言えるだろうが、規制反対論では重視されていない。(彼らにとって)重要な唯一の規範は、国家の過度の権力に対して貨幣利用者の所有権を守る必要なのである。

どちらの可能性も説得的である。そして、思考が人間の行動を条件づける力を決して過小評価すべきではない。しかし、たとえどれほど認識上の説明を用いても、問題が残る。つまり、われわれにどうやってそれがわかるのか? と。イデオロギー上の原則は本当に政府の選択した政策に対する主な動機であるかもしれない。しかしそれは、もっと違う私的な利益や目的を言い換えた、公的な説明でしかないかもしれない。価値は重要であるが、それ自体で決定的な重要性を持つことは少ない。こうして再び、より根本的な何かがここに含まれているに違いない、と感じる。

アメリカの役割

そのより根本的な「何か」とはアメリカである。アメリカは戦後のほとんどの時期において国際金融問題の議論を決定してきた。1970年代と80年代にいくらか後退したものの、アメリカの金融的な覇権は1990年代の長い経済の拡大によって決定的に再確認された。その成功の記録は、ヨーロッパで続く失業や日本の停滞、その他の地域における危機と、鋭い対称を示した。フランス人がアメリカを世界で唯一の超大国と呼んだのも無理はない。今日、ワシントンの通貨・金融問題に関する望みを公然と否定しようとする政府は少ない。

実際、新興市場における金融自由化の重大な逆転に、ワシントンが断固として反対してきたのはなんら秘密ではない。クリントン大統領の経済諮問委員会が出した最新の年次報告はその典型である。浮動的な資本移動の恐れがある諸国に対して、委員会は「国内金融システムを強化し、適切なマクロ経済政策を採用すること」を示唆し、資本規制に訴えないように求めた(Council of Economic Advisors 2000: 226)。逆に、委員会は「資本規制の使用に反対する多くの考察がある」と警告した(Council of Economic Advisors 1999: 281)。

各国政府はコンフィデンス・ゲームを続けるように、直接的にも、あるいは危機に襲われた国にIMFが課す融資条件としても、公の圧力を受けた。それはIMFの融資条件は、かつて財務省の次官が私に述べたように「アメリカの影響力を伝える便利な導管」であった(33)。世銀の主席経済顧問を最近辞任したジョゼフ・スティグリッツは、財務省とIMFが、1997年のバーツ下落以来、ネオリベラルな正統派の見解を強制する上で緊密に協力してきたことを活き活きと描いた(Stiglitz 2000)。金大中の韓国のように、ワシントンのルールでゲームを自ら進んで行った諸国には、寛大な資金援助とその他の支援で報われたことを、私たちは知っている。逆に、インドネシアの新しい大統領、アブドゥラーマン・ワヒドは、20006月に、通貨への圧力が再現したとき、少しの間、資本規制の考えをちらつかせたが、 インドネシアはIMFとの政策取決めを厳守しなければならない、と主張するIMFの理事から強い牽制を受けた。(New York Times, June 6, 2000: C4) マハティール・モハマドのマレーシアが、1998年にワシントン・コンセンサスからにわかに離脱した後、大量の汚名を浴びせられたこともよく知られている。そのような状況で、ほとんどの政策担当者がクアラ・ルンプールの先例に従うのを躊躇したとしても、何ら不思議ではない。

疑いもなく、ワシントンが反対した一つの理由はイデオロギー的な確信にあった。危機が起きてからアメリカの政策を担当した官僚たちの多くは、ロバート・ルービンとローレンス・サマーズ、そしてそれ以下も含めて、新古典派経済学で鍛えられた者たちであり、今もその真髄を固く確信している。しかし、それだけが理由ではないだろう。知的な偏りはある一揃いの政策へと向かう傾向を単に説明するだけで、それが強固な政治的計算を支配することは無い。実際には、他の二つの配慮が明らかに優先されてきた。

第一に、システムの安定性に対する関心である。明らかに、アジア危機とその後のロシア、ブラジル、その他への波及においてそれが危険にさらされた。世界中の貸付市場が急停止する瀬戸際にあり、世界的なクレジット・クランチの危険があった。また、株式市場の暴落と世界不況、国際貿易の保護主義再現という可能性もあった。タイ・バーツの下落以後、悪夢のシナリオはありふれたものであった。広く行き渡った貨幣構造の主要な構築物として、アメリカは、おそらく、その主要な受益者でもあっただろう。その意味で、現状維持に挑戦するものは何でも抑圧しようとする十分な理由を、アメリカの指導者たちは持っていた。

第二に、アメリカの国内政治もまた現状を維持することを好んだ。新興市場の資本移動の抑制で直接に利益を得られるアウト・サイダーは少ないだろう。しかし、特に、アメリカに基礎をおく主要金融機関や投資家を含む多くの者が、自分たちの利益は損なわれると思うだろう。そのような強力な市場参加者は自分たちの望むことを謙虚に内に秘めるようなことはないし、彼らに選出された代議員たちが支援を求める彼らの声にまったく無神経でいられるはずも無い。これは、ワシントンやその他の債権諸国政府が搾取的な資本家階級の単なる道具である、という意味では無い。世界はめったにそれほど単純ではない。しかし、それは規制に反対する共通利益が現実に存在することを示す。議論の余地はあるが力強い調子で、ある文献は次のように論評した。

「アメリカは世界的規模の自由な資本移動を維持し、拡大することに、強力な利益を持っている。…さらにウォール街の銀行や仲介企業は、新興市場で営業することにより販売額を増大させたいと思っている。…(それゆえ)ウォール街と多国籍企業との間で、世界的な規模で資本勘定を開放しておくことを支持する、強力な合流点が存在する。それに対応して、アメリカ財務省は、…資本自由化を促進するキャンペーンを指導してきたのである」。(Wade 98-99: 45-47

このような利益の恐るべき合流に直面して、新しい資本規制を採用することに躊躇しない国があるとすれば、そのほうが驚きである。

X 結論

アジア危機は、伝統的な知識が深刻な挑戦を受けて、潮流の変化が生じた瞬間を示す珍しいケースであった。市場維持、もしくはコンフィデンス・ゲームという、より正統的な戦略が顕著な失敗に終わって、貨幣管理の正当な手段として資本規制が復活する機は熟したように見えた。しかし政府は、説得的な理論的支持や歴史的先例がありながら、まだためらっている。彼らがまだためらっているのは、究極的には、アメリカの政治力に対する確信があるからである。金融システムの明白な覇者が反対することに逆らうのは難しい。

しかし、抵抗は不可能ではない。実際に決定的な問題は、実行可能性である。すなわち、どうやって火には火で対抗するか? 資本規制反対論に対して、公的部門でも民間部門でも、支持論者はさらに強力な連携を築く必要がある。その目的は、ブレトン・ウッズでIMF協定に書かれた、埋め込まれた自由主義、という妥協を復活させるために、あらゆるところで政治的な支持者を動員することである。言い換えれば、現在は拘束されている手段(訳注:資本規制)を政府が使えるようにすることである。効果的であるためには、そのような同盟が新興市場政府だけに依拠することはできない。明らかに、アメリカやその他の地域でも、共感と影響力の点で連携を引出す必要がある。それは今まで、相対的に低い扱いしか受けてこなかった問題である。

潜在的な同盟者は存在している。支持の一つの源泉は世界銀行に見出せる。「資本勘定自由化と増加した資本移動の利益は、危機の蓋然性とそのコストに対して比較考量する必要がある」と、世銀は巧妙に示唆してきた(World Bank 1999: xxi)。スティグリッツは、まだ世銀にいたころから、資本規制に関するアメリカ財務省の見解に反対したことで良く知られていた。別の支持論は、アメリカの外交評議会のようなエリート組織の指導層にも見出される。外交評議会は、最近、ある種の資本規制を強く支持する特別委員会の報告書を出版した。こうした要素もまた大義のために動員されるならば、政府はもはや躊躇しなくなるだろう。

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